正体の見えない距離感
リモートワークをはじめて8ヶ月経った。2021年の1月、もう半月が経過しようとしている。時の経過が早すぎる。
2020年の3月にIT業界に転職し、5月から現場に入場した。入場した時からリモートワークだった私は、いまだにチームメンバーと対面でお会いしたことがない。コロナウイルスの関係で、拠点への出勤を控えるよう命令があり、それが継続しているからだ。
私は、かつて、一度も対面でお会いせずにリモートだけでプロジェクトを進めた経験がない。例えば、全国にメンバーが散らばる状況であってもお会いする機会があったし、同じ拠点のメンバーとは顔を合わせる機会は複数あった。しかし、今回のように最初からリモートでの勤務は全くのはじめてだ。
最初は緊張した。行動が見えない以上、結果でしか表現できないからだ。隣に相談できる人がいるわけでもなく、物事はほぼチャットで進んでいく。わからないことはチャットで質問する。同じ関東圏に住いながらも、会うことはなく、チャットだけ、たまにZoomでリモートで会う。しかし、顔は出さないので、声だけの面談の機会だ。
顔を出さないことにも抵抗があった。IT業界はそういうものなのかと思った。だから、もはやメンバー(特に女性)の顔を思い出せない。Slack上にある顔写真だけで理解をしている。こういう文化なのだと、理解し、対応していった。
そんな中である方が「雑談しませんか」という話題になった。雑談しようと言って雑談するものが雑談なのか少し疑問ではあったが、しかし私も同じ意見だった。なぜなら、対面がなくなった結果、公式のコミュニケーション以外がなくなったからだ。例えば、すれ違いざまのちょっとした会話や、昼食時の会話など。リモートワークは、対面だからこそ生まれる非公式なコミュニケーションがない状態となっていた。
皆、似たような悩みがあるのだなと思った。東京の人はあまり他人と会話したくないのかなと勝手に思っていたが、そうでもなさそうで、何か人間らしい雑談がない職場は苦痛を感じることがある。私もそうだった。機械のように働きたいわけではない。自分らしく働きたいだけだからだ。
雑談の中で他愛もない会話をした。笑いが起きる。そうそう、こういうのが人間らしい と思った。リモートワークの課題はコミュニケーション不足と統計的に表示されるが、それを体感した瞬間だった。
幸いにも、私たちのチームメンバーは他人を尊重できる方ばかりなので、チャット上であっても、他メンバーに配慮した会話をすることができる。それが素晴らしい点である。ただ、それでも雑談は重要なのだなと肌で感じた。
人間らしさとは何なのか
機械のように命令されたことを淡々とこなす仕事もあるだろう。私はそれでも問題ないと自分では思っていた。しかし、得体の知れない虚無感は他人とのコミュニケーションで生まれる素晴らしい感情を無視した結果なのかも知れない。
得られる情報はチャットで共有されるので業務に支障はない。ただ、隣に誰かいれば気軽に尋ねられるようなことも、自分で調べて解決しなければならない。質問へのハードルが上がったことは確かだ。
無駄も増えたと思う。聞けば、数秒で終わる質問も、テキストに打ち込んで、相手に伝わるように書かなければ相手に迷惑となるので丁寧に書く。だから時間がかかる。それを繰り返す。振り返るという点では良いかも知れない。
昔は雑談というものは無駄だと思っていた。それは、時間の浪費であり、業務の邪魔になるものだと思っていた。非公式に、雑談の中で決まる決定事項は不愉快極まりなかった。公式に打ち合わせがあるのになぜそんな場所で一部の人間で決めてくるのか理解ができなかったからだ。
リモートワークを通して、チャットだけでは解消できない距離感があるのだと理解した。しかし、問題が生まれても、人間は人との対話によって問題を解消していくのだと雑談を通して学ぶことができた。声を上げてくれたメンバーに感謝したい。