2020年、私はIT業界に転職した。これは、流れに身を任せた結果、その道が生まれたから。もともと建築でのものづくりの道を志して高校と大学で建築を学び、それに飽きて経営支援の道へ進む。これは不思議な縁の積み重ねだった。自分が望んだ道ではない。
そして、知り合いからご縁をいただき、会計事務所へ転職し、そこでは情報系の担当となりプログラミングを学び、今に至る。それは全て自分が望んで求めてきた道ではなく、目の前のことを必死に取り組んだ結果生まれた結果である。
一期一会という言葉がある。あまり意識はしてこなかったが、振り返れば縁によって生かされていると実感することが多数ある。そして、それは不思議と人並みの生活、もしくは実力と比較するならば、実力以上の環境に身を置かせてもらっているように感じるのも事実である。
運はいい方だと自負している。それは、ドラマやYouTube、SNSでネタになるような悲劇のような現場には出会わない。とても恵まれた会社や人に出会う。厳しさも当然あるが、自分を成長させてくれる場所に巡り合わせてもらっている。これは奇跡だと思う。
不確実な未来を構築するためにはどうすれば良いかいつも考えている。目標を持って積み上げていくのが良いと思っている。ただ、飽きやすく気が持たない自分は、一つのことを決めてまっすぐ進むことができない。
だから、その瞬間瞬間に興味関心を持った分野に集中的に投資するようにしている。それは、側から見るとフラフラしているように見えると思う。正直、自分の理想の姿ではない。まっすぐ決めたことに突き進むような自分でありたいと思っているが自分の性分はそれには合わず、その時々の感情に合わせた行動を取る方が結果的に必要な成果を上げることができるとわかっているから。
理想の自分と現実の自分は違うことを理解しなければならないと最近わかってきた。というか、自分自身を理解することはとても難しい。客観的に見つめ直すことがなかなかできない。理想の自分でありたい という感情であれば、前向きな改善ができるだろう。ただ、私の場合は、理想の自分でなければならないと思っていた節がある。これは自分を苦しめた。だから今はやめた。自分の思うように生きるようにした。
どうも理想の自分がたまに顔を出して、邪魔をする。プライドというやつなのか。頭が高いことは頻繁にあるが理想の自分とは本当に邪魔な存在である。義務感となっている場合は余計である。
振り返れば、未来を憂いている時よりも、ガムシャラに目の前にことに向かって、今を必死に生きているときの方が充実しており成果も出て周囲にも認めてもらえている。だから未来は見つつも今を生きることに集中しようと思う。